【はり・はり】芹沢あさひ の話をしていいか

アイドルマスターシャイニーカラーズのイベント配布SR【はり・はり】芹沢あさひのコミュ*1の話をします。

2021/3/21補足:当ブログではこの記事以外でシャニマス語りはしていません。

 
イベ配布SRなので1話+true endの2話構成になっていて、1話目では事務所で赤ずきんのスノードームを楽しむあさひが描かれ、true endでは天井がガラスのドームになっている建物をスノードームに見立てて外から見下ろす話になっている。

1話:ガラス向こうの天気

あらすじ

事務所にいるあさひはスノードームをひっくり返して雪を降らせたり止ませたりしながら、中の赤ずきんについて表情などから「おばあちゃんの家に行くのを面倒だと思っているが、お菓子か何かがもらえるので行っている」「雪が降ったりやんだりしているので天気を不思議がっている」などの物語的な解釈をする。あさひと接するときの最近のシャニP*2は、他人への共感性を身に付けてほしいためか、しばしばぬいぐるみなどの非生物に感情があるかのようなことを言うが、ここでもそうしたコメントを投げている。

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物語的解釈をあさひに伝えるシャニP


シャニPがあさひに言った解釈(背後のオオカミの気配を感じて振り返っている)は、あさひの解釈と異なるので否定されるが、シャニPはあさひの感じ方を尊重して受け容れる。

そんなに気に入ったなら持って帰ってもいいぞと言い、ここで楽しむからいい、と断られる。シャニPは歯医者さんの絵本や床屋さんの漫画を例に挙げて、「楽しいのはいろんなところにあるといいよな」と捉える。

思ったこと

芹沢あさひは天才肌で、共感性に乏しいといった描かれ方をするキャラクターである*3。しかしあさひなりに戯画的な空想を楽しんでいて、「そういうことするんだ」と思った。以前のコミュ*4などでシャニPのファンタジーな解釈を「そんなわけないっす」と否定していた印象があったからである。ただ、そこではシャニPに付喪神の話をされて「そうかもしれない」と考え直していたので、それを踏まえて今回の話に繋がっているとすると不思議なことでもない。

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一度は否定するも、ぬいぐるみに心がある可能性を認める純粋なあさひ

そういえば2019年クリスマスのコミュ*5でも、サンタを捕まえてみたいと話す際に「存在が証明できていないから居るかも分からない」と自分で言っているシーンがあった。あさひは非現実的な空想の世界を否定しない、児童的な発想を持つが、科学的な前提知識や経験がまだ足りていないだけの現実主義者として描写されている、とするとしっくりくる。ストレイライト*6のコミュでは、突拍子もない行動や言動・理解方式をとるあさひが、他者*7の助言・説教に納得できないと反論するシーンや、逆に納得した後はすんなりと受け入れるシーンがもはやおなじみである。車に轢かれると死ぬという現実を知らない子供が、注意されても車道に駆け出していくのと同じ。

 

解釈」の話に移る。スノードーム内の赤ずきんの空想を語るあさひとシャニPのことだ。最初に読んでいたとき「これ公式で解釈違いの話をしようとしてる???」と面白く思った。ちょっと気になったシャニPの台詞があるので見てほしい。

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あさひと空想が食い違ったときのシャニPの台詞

これはこのやりとりの中においては「スノードーム内の赤ずきんの顔の描き込みがどうとでもとれる程度なので二人の解釈に違いが生じた」という理解を示す台詞である。だがそれだけの意味ではない、非常に示唆的な一文だと受け取った。

シャニマス自体、ストーリー部分が丁寧に作られていることもあって様々なオタクたちの解釈の対象になる作品である。私も物語の緻密な描写をメインに楽しんでいるプレイヤーであるから、インターネット上の様々な二次創作物に対して「解釈違い」が発生していた時期もあり、コンテンツの解釈とは何ぞやということはしばしば思考の対象としてきた。そんな私の目にはこの台詞が初見ではシャニマスに限らず様々な創作物に通底する「解釈」についての話に映った。あらゆる創作物は作品内で全要素を完全に描写しきることは不可能であり、細部の補完や理由付けは受け取り手に委ねられる。それが解釈であり、当然人により食い違いも発生する。そのことに触れているのではないか、と思ったのだ。しかし「初見では」と述べた通り、後にこの理解は改めることとなった。その件はtrue endの章で後述する。

ところでここでのシャニPからは、あさひの感じたことを尊重したいという姿勢が見えて、好感が持てる。その姿勢は以前のコミュ*8から一貫している。

 

さて、ここでカードイラストについて触れる。コミュ第1話の中でも、あさひがスノードーム内の赤ずきんを解釈しているシーンで表示される。

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今回のカードイラスト。コミュ中でも登場

かわいい*9

ただでさえ明眸皓歯で可憐な芹沢あさひが赤ずきん姿となり錦上に花を添えている。こんなカードが全員手に入るイベントで配布されるのだからありがたい限りである。

だがここでしたい話は別にある。これ、シャニマスのプロデュースカードのイラストとして、かなり異色のイラストなのである。プロデュースカードのイラストは、上の画像のようにストーリー中で表示されるものであるから、そのストーリー上の情景を切り取ったものであることがほとんどである。イラストの衣装や背景が現実的でない場合も、それは「そういう撮影」「そういう仕事」の場面の描写としてコミュ中で登場する。しかしこの赤ずきんあさひのイラストは現実のシーンではない。このシーンであさひは普段着であり、事務所でスノードームを見ているだけである。また作中でスノードーム内の赤ずきんがあさひに似ているといった描写があるわけでもない。この一枚絵はストーリー内において、「誰」が見ている「何」なのだろうか?

私の考えは後述するとして、第二話にあたるtrue endの章に移行する。

2話(true end):反転する空

あらすじ

ショッピングモールでのステージを終えたあさひは、シャニPと帰る前に「行きたいところがある」と言って一人でいなくなってしまう。シャニPが追いかけるとガラスのドームになっている天井を見上げていた。上から覗けないかと考えたあさひは再び走り出す。追うシャニP。「もっと高いところ」に来た二人はガラスのドームを上から見下ろし、建物内の人々を見る。あさひはスノードームのようだと言い、大きな人がいたらひっくり返して遊ぶだろうかと空想する。こっちを覗いたり、雪を降らしたりしてくる、大きな人がいるかもしれない。そんなあさひにシャニPは質問を投げ掛ける。スノードームの内側と外側、どっち側がいいのか。

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「どっちがいい?」「自分のスノードームを自分でひっくり返したいっす!」

あさひの返答に「それがいい」とシャニPが肯定したところで、このコミュは終わりになる。

思ったこと

1話ではスノードームが解釈・遊びの対象として登場したが、ここでは今まで自分たちが中に居た建物をスノードームに見立てることで、自分たちが解釈の対象へと逆転する場合について触れている。

私ははじめ、これはメタ的な含みを持った話なのだろうかと思った。あさひが空想する、あさひたちを観察して解釈の対象とする大きな人とは、まさにこのコミュを読んでいるプレイヤーがそのものだからである。しかし直ちに、それ以外の考え方に思い至った。

それはこの見る・見られるの構造、表出するものと解釈の関係性は、創作物全体という範囲すらも超えて一般化なされうるものだということだ。

1話の章で前述したとおり、あらゆる作品は観察者によって勝手に抽出され、補完され、こういうことなのだろう、と解釈を受ける。しかしこれは創作物に限ったことではない。我々人間そのものについても、脳内を他人にさらけ出すことはできず、振る舞いや言動をもとに思考や性格を他人に「解釈」される。それは誤解と表現できるほど明確に間違っている場合もあれば、大雑把な把握によってキャラクター化(単純化)されてしまったりもする。

この点を踏まえると、このコミュでの「解釈」の描写を考えるにあたり、このコミュが創作物であるという要素は必ずしも重視しなくともよいということになる。そうすると別の視点が浮かび上がる。あさひが属するユニットのストレイライトが何度もストーリーの題材として扱ってきた、「ファンに向けて見せているアイドルとしての人物像」というテーマである。

ストレイライトの他のメンバーである冬優子と愛依はともに、自然体の姿とファンに見せる人物像を明確に分けているキャラクターである。ここで長々と言及することは避けるが、乱暴に言ってしまえば「見せかけの、ツクリモノの人間像」をアイドルとして世間に見せている。このことが何度もコミュで深堀りされる中、そうではないあさひ、ステージ上でありのままの姿を見せているあさひは、どうなのか。あさひは表現者として他人に見られることと、面白いものを見に行くのと、どっちがやりたいのか。

 

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「答え」

芹沢あさひ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あさひって自分で完結してるんですよね。誰かにどう見られるか、というものではない。W.I.N.G.*10でも、街頭モニターで見たダンス映像に感じたキラキラを追い求めてアイドル活動に励み、最後には「最高のステージとは、自分自身でキラキラを作ること」という結論に至っていた。自分が表現者としてステージで作り出す最高のスノードームを、他でもない自分自身で一番楽しむ。それが芹沢あさひなのだ。

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W.I.N.G.決勝後コミュ

先ほどの、カードイラストがストーリー内において「誰」が見ている「何」なのかという疑問の答えも、もうお分かりだろう。あの一枚絵は、「芹沢あさひ」が見ているスノードームの中の「芹沢あさひ」を表しているのだ。少なくとも私はそう捉えた。

 

余談:タイトルについて

【はり・はり】芹沢あさひ の、「はり・はり」って何?と思ったので調べてみた。「はりはり」というオノマトペかなと思ってググったが、それらしいものがない。電池切れで死んでいた電子辞書に電池をぶち込んで広辞苑を引いたところ、玻璃(はり)というガラスの別称があることが分かった。多分これ。

 

 

以上でオタク語りを終わります。読んでいただきありがとうございました。シャニマス、好きです。

*1:ストーリーのこと

*2:アイドル達のプロデューサー。他のアイマスシリーズと異なり、プレイヤーの化身とは言えないほど確立した設定や性格を持つ

*3:他人の感情に鈍感なわけではない

*4:【不機嫌なテーマパーク】芹沢あさひ

*5:【プレゼン・バトン!】芹沢あさひ

*6:あさひが所属する3人組ユニット

*7:概ね黛冬優子さん

*8:【空と青とアイツ】芹沢あさひ

*9:自明により証明を省略する

*10:キャラクターごとの一つ目のストーリーみたいなもの。デビューから新人アイドルの大会で優勝するまで