アンメルツヨコヨコ

段差が多い場所のアンメルツヨコヨコってなーんだ?

 

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というように「クソなぞなぞの答え部分だけ有料にするブログ」を思いついたのですが、最悪の場合訴えられそうなのでやめたほうがいいと思います。

 

ところで、アンメルツヨコヨコってご存じですか?

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小林製薬さんの第3類医薬品で、肩こりや筋肉痛に効く塗り薬です。

私がはじめてコレを知ったのは「縦になったアンメルツヨコヨコってなーんだ?*1」というクソなぞなぞでした。

聞いた瞬間に答えがわかるばかばかしさを楽しむタイプの名作なのですが、アンメルツヨコヨコを知らなかったせいで「アンメルツヨコヨコって何?」がまず来てしまい、本来の面白みを味わえない、なんとももったいない経験をしたのです。

それもあっていまだにアンメルツヨコヨコには複雑な思いを抱いております。

 

 

ちなみに冒頭のクソなぞなぞの答えはこの記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。登録はこちらをクリック

*1:アンメルツタテタテ

【はり・はり】芹沢あさひ の話をしていいか

アイドルマスターシャイニーカラーズのイベント配布SR【はり・はり】芹沢あさひのコミュ*1の話をします。

2021/3/21補足:当ブログではこの記事以外でシャニマス語りはしていません。

 
イベ配布SRなので1話+true endの2話構成になっていて、1話目では事務所で赤ずきんのスノードームを楽しむあさひが描かれ、true endでは天井がガラスのドームになっている建物をスノードームに見立てて外から見下ろす話になっている。

1話:ガラス向こうの天気

あらすじ

事務所にいるあさひはスノードームをひっくり返して雪を降らせたり止ませたりしながら、中の赤ずきんについて表情などから「おばあちゃんの家に行くのを面倒だと思っているが、お菓子か何かがもらえるので行っている」「雪が降ったりやんだりしているので天気を不思議がっている」などの物語的な解釈をする。あさひと接するときの最近のシャニP*2は、他人への共感性を身に付けてほしいためか、しばしばぬいぐるみなどの非生物に感情があるかのようなことを言うが、ここでもそうしたコメントを投げている。

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物語的解釈をあさひに伝えるシャニP


シャニPがあさひに言った解釈(背後のオオカミの気配を感じて振り返っている)は、あさひの解釈と異なるので否定されるが、シャニPはあさひの感じ方を尊重して受け容れる。

そんなに気に入ったなら持って帰ってもいいぞと言い、ここで楽しむからいい、と断られる。シャニPは歯医者さんの絵本や床屋さんの漫画を例に挙げて、「楽しいのはいろんなところにあるといいよな」と捉える。

思ったこと

芹沢あさひは天才肌で、共感性に乏しいといった描かれ方をするキャラクターである*3。しかしあさひなりに戯画的な空想を楽しんでいて、「そういうことするんだ」と思った。以前のコミュ*4などでシャニPのファンタジーな解釈を「そんなわけないっす」と否定していた印象があったからである。ただ、そこではシャニPに付喪神の話をされて「そうかもしれない」と考え直していたので、それを踏まえて今回の話に繋がっているとすると不思議なことでもない。

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一度は否定するも、ぬいぐるみに心がある可能性を認める純粋なあさひ

そういえば2019年クリスマスのコミュ*5でも、サンタを捕まえてみたいと話す際に「存在が証明できていないから居るかも分からない」と自分で言っているシーンがあった。あさひは非現実的な空想の世界を否定しない、児童的な発想を持つが、科学的な前提知識や経験がまだ足りていないだけの現実主義者として描写されている、とするとしっくりくる。ストレイライト*6のコミュでは、突拍子もない行動や言動・理解方式をとるあさひが、他者*7の助言・説教に納得できないと反論するシーンや、逆に納得した後はすんなりと受け入れるシーンがもはやおなじみである。車に轢かれると死ぬという現実を知らない子供が、注意されても車道に駆け出していくのと同じ。

 

解釈」の話に移る。スノードーム内の赤ずきんの空想を語るあさひとシャニPのことだ。最初に読んでいたとき「これ公式で解釈違いの話をしようとしてる???」と面白く思った。ちょっと気になったシャニPの台詞があるので見てほしい。

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あさひと空想が食い違ったときのシャニPの台詞

これはこのやりとりの中においては「スノードーム内の赤ずきんの顔の描き込みがどうとでもとれる程度なので二人の解釈に違いが生じた」という理解を示す台詞である。だがそれだけの意味ではない、非常に示唆的な一文だと受け取った。

シャニマス自体、ストーリー部分が丁寧に作られていることもあって様々なオタクたちの解釈の対象になる作品である。私も物語の緻密な描写をメインに楽しんでいるプレイヤーであるから、インターネット上の様々な二次創作物に対して「解釈違い」が発生していた時期もあり、コンテンツの解釈とは何ぞやということはしばしば思考の対象としてきた。そんな私の目にはこの台詞が初見ではシャニマスに限らず様々な創作物に通底する「解釈」についての話に映った。あらゆる創作物は作品内で全要素を完全に描写しきることは不可能であり、細部の補完や理由付けは受け取り手に委ねられる。それが解釈であり、当然人により食い違いも発生する。そのことに触れているのではないか、と思ったのだ。しかし「初見では」と述べた通り、後にこの理解は改めることとなった。その件はtrue endの章で後述する。

ところでここでのシャニPからは、あさひの感じたことを尊重したいという姿勢が見えて、好感が持てる。その姿勢は以前のコミュ*8から一貫している。

 

さて、ここでカードイラストについて触れる。コミュ第1話の中でも、あさひがスノードーム内の赤ずきんを解釈しているシーンで表示される。

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今回のカードイラスト。コミュ中でも登場

かわいい*9

ただでさえ明眸皓歯で可憐な芹沢あさひが赤ずきん姿となり錦上に花を添えている。こんなカードが全員手に入るイベントで配布されるのだからありがたい限りである。

だがここでしたい話は別にある。これ、シャニマスのプロデュースカードのイラストとして、かなり異色のイラストなのである。プロデュースカードのイラストは、上の画像のようにストーリー中で表示されるものであるから、そのストーリー上の情景を切り取ったものであることがほとんどである。イラストの衣装や背景が現実的でない場合も、それは「そういう撮影」「そういう仕事」の場面の描写としてコミュ中で登場する。しかしこの赤ずきんあさひのイラストは現実のシーンではない。このシーンであさひは普段着であり、事務所でスノードームを見ているだけである。また作中でスノードーム内の赤ずきんがあさひに似ているといった描写があるわけでもない。この一枚絵はストーリー内において、「誰」が見ている「何」なのだろうか?

私の考えは後述するとして、第二話にあたるtrue endの章に移行する。

2話(true end):反転する空

あらすじ

ショッピングモールでのステージを終えたあさひは、シャニPと帰る前に「行きたいところがある」と言って一人でいなくなってしまう。シャニPが追いかけるとガラスのドームになっている天井を見上げていた。上から覗けないかと考えたあさひは再び走り出す。追うシャニP。「もっと高いところ」に来た二人はガラスのドームを上から見下ろし、建物内の人々を見る。あさひはスノードームのようだと言い、大きな人がいたらひっくり返して遊ぶだろうかと空想する。こっちを覗いたり、雪を降らしたりしてくる、大きな人がいるかもしれない。そんなあさひにシャニPは質問を投げ掛ける。スノードームの内側と外側、どっち側がいいのか。

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「どっちがいい?」「自分のスノードームを自分でひっくり返したいっす!」

あさひの返答に「それがいい」とシャニPが肯定したところで、このコミュは終わりになる。

思ったこと

1話ではスノードームが解釈・遊びの対象として登場したが、ここでは今まで自分たちが中に居た建物をスノードームに見立てることで、自分たちが解釈の対象へと逆転する場合について触れている。

私ははじめ、これはメタ的な含みを持った話なのだろうかと思った。あさひが空想する、あさひたちを観察して解釈の対象とする大きな人とは、まさにこのコミュを読んでいるプレイヤーがそのものだからである。しかし直ちに、それ以外の考え方に思い至った。

それはこの見る・見られるの構造、表出するものと解釈の関係性は、創作物全体という範囲すらも超えて一般化なされうるものだということだ。

1話の章で前述したとおり、あらゆる作品は観察者によって勝手に抽出され、補完され、こういうことなのだろう、と解釈を受ける。しかしこれは創作物に限ったことではない。我々人間そのものについても、脳内を他人にさらけ出すことはできず、振る舞いや言動をもとに思考や性格を他人に「解釈」される。それは誤解と表現できるほど明確に間違っている場合もあれば、大雑把な把握によってキャラクター化(単純化)されてしまったりもする。

この点を踏まえると、このコミュでの「解釈」の描写を考えるにあたり、このコミュが創作物であるという要素は必ずしも重視しなくともよいということになる。そうすると別の視点が浮かび上がる。あさひが属するユニットのストレイライトが何度もストーリーの題材として扱ってきた、「ファンに向けて見せているアイドルとしての人物像」というテーマである。

ストレイライトの他のメンバーである冬優子と愛依はともに、自然体の姿とファンに見せる人物像を明確に分けているキャラクターである。ここで長々と言及することは避けるが、乱暴に言ってしまえば「見せかけの、ツクリモノの人間像」をアイドルとして世間に見せている。このことが何度もコミュで深堀りされる中、そうではないあさひ、ステージ上でありのままの姿を見せているあさひは、どうなのか。あさひは表現者として他人に見られることと、面白いものを見に行くのと、どっちがやりたいのか。

 

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「答え」

芹沢あさひ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あさひって自分で完結してるんですよね。誰かにどう見られるか、というものではない。W.I.N.G.*10でも、街頭モニターで見たダンス映像に感じたキラキラを追い求めてアイドル活動に励み、最後には「最高のステージとは、自分自身でキラキラを作ること」という結論に至っていた。自分が表現者としてステージで作り出す最高のスノードームを、他でもない自分自身で一番楽しむ。それが芹沢あさひなのだ。

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W.I.N.G.決勝後コミュ

先ほどの、カードイラストがストーリー内において「誰」が見ている「何」なのかという疑問の答えも、もうお分かりだろう。あの一枚絵は、「芹沢あさひ」が見ているスノードームの中の「芹沢あさひ」を表しているのだ。少なくとも私はそう捉えた。

 

余談:タイトルについて

【はり・はり】芹沢あさひ の、「はり・はり」って何?と思ったので調べてみた。「はりはり」というオノマトペかなと思ってググったが、それらしいものがない。電池切れで死んでいた電子辞書に電池をぶち込んで広辞苑を引いたところ、玻璃(はり)というガラスの別称があることが分かった。多分これ。

 

 

以上でオタク語りを終わります。読んでいただきありがとうございました。シャニマス、好きです。

*1:ストーリーのこと

*2:アイドル達のプロデューサー。他のアイマスシリーズと異なり、プレイヤーの化身とは言えないほど確立した設定や性格を持つ

*3:他人の感情に鈍感なわけではない

*4:【不機嫌なテーマパーク】芹沢あさひ

*5:【プレゼン・バトン!】芹沢あさひ

*6:あさひが所属する3人組ユニット

*7:概ね黛冬優子さん

*8:【空と青とアイツ】芹沢あさひ

*9:自明により証明を省略する

*10:キャラクターごとの一つ目のストーリーみたいなもの。デビューから新人アイドルの大会で優勝するまで

振り返れ!マルをギュッと付けたカレンダー

こんにちは。golgiです。思っていたよりは前回の記事から間が空いていませんね。めでたい。

前回の記事からの間にしたツイートについてちょっとずつ補足してみようかな。

 

 

 

 これは何に関してもそうで、先っちょだけ知ってるときはいろいろ偉そうな口が利けるが、一歩足を踏み入れるとその広さと深さに恐れ入ることになる。こういう経験はぼくも人生の中で何回もやってるのに、また繰り返してしまう。

ただ、この話ちょっと危険な面を持っている。普遍的過ぎる。「それはそう」すぎるというか、「井の中の蛙大海を知らず」なんてわざわざぼくが言及しなくても世の中の人間に思われ尽くしている。使い古されたネタってやつなのだ。

いいねは付くけれどそれは広く共感されるからであって、新規性を感じてもらえたからではない。共感のいいねはぼくの欲しいいいねとちょっと違う・・・かもしれない。ほんまか?そうでもない気がしてきた。そういうことにいちいち引っかかっちゃう時と全然気にしない時がある性格をしている。

 

 

 

 いっけね!!!!こいつぁ一本取られたね!!!!!

負けたときとか、議論で自分の間違いに気付いたときとか、敗北宣言って難しいじゃないですか。自分の非を認めるのがプライド的に難しいのもあるし、ストレートに認めるにしても言い方によって相手に気まずい思いをさせてしまうかもしれない。

「一本とられた」って、これ敗北宣言でありながら、ニュアンスの主軸が「自分の負けを認める」じゃなくて「相手の実力を認め、評価する」の方にあるんですよね。おしゃれすぎる。使いたい。「あーこれは一本取られましたな、お恥ずかしいかぎりですへへへ」って引き下がりたい。

 

 

 

 人間にはいろいろな性格の持ち主がいて、ぼくは合わないタイプの方々に精神的にも物理的にも迷惑をかけてきた。自分を卑下しているのではなく、遠回しな皮肉で多数派を攻撃しているのでもない。ただ、そういう事実があった、という認識をしている。なので「申し訳ない」ではなく「かわいそう」というワードチョイス。

これは高校までの、いろんな人間をクラス単位で行動させる仕組みによって発生する「マッチングの失敗」といえる。大学は合わない人間同士が義務として接さなければいけない機会が少ないので、ほんとにラク!!!!!!大学最高!!!!!!!!!社会に出たらまた機会発生しまくりって本当ですか???????助けてください。

 

 

 

 

 高校の階段で部活の先輩にバッタリ会っても挨拶できない。バイトに向かう道の途中で職場の目上の方に会っても自分から挨拶できないので認識されないように距離をとる。でもスイッチがオンになっているときなら割と平気で喋れる。

スイッチがオフになってただけなんです!目上の人に対して礼儀がなってないわけじゃないんです!!!って高校のときは言いたくなってたけど、これ普通に礼儀がなってないだけかもしれない。全然アウト判定なんだろうな。ごめんなさい。こいつは一本取られたな!!!ガハハ!!!!!

 

 

 

 モルカー良い。YouTubeで最新話が見れるストップモーションアニメです。かわいい。

単純なかわいさの他に、シュールさとか闇要素とかのネットでバズりやすい要素を多分に含んでいるので、ツイッターで人気が爆発している。そして「そういう面を過剰に面白がる風潮を嫌がるツイート」も流れてくるフェーズに突入している。

それはそうとして、かわいいので良い。

 

 

 

 髪を切った。人見知りなのでいつも同じ散髪屋さんしか利用してこなかったのだが、コロナの影響で休みの曜日が増えており、行ったら閉まったドアの前に立ち尽くすことになった。せっかく外出したしということで桂川イオンにある散髪屋さんまで行った。必要最低限のことしかしないので短時間で済むことを売りにしているお店で、シャンプーも顔剃りもしない、髪の毛は掃除機で吸う、全部で11分で終わる、という特殊な散髪屋さんだった。速さが売りなので雑談を持ちかけてきたりもしない・・・と思いきや、ちょっと話しかけてきなさった。でもその時はコミュニケーションスイッチがオンになっていたので大丈夫でした。体験として良かったし格安なのでまた利用しそう。

 

 

 

ツイート振り返りは以上で終わりです。このスタイル、話すテーマを新たに考えなくていいのでめちゃめちゃ書きやすい。次の記事もこれにするかも。

あ、そういえば前回の記事、ツイッターにあげると1枚目の画像がサムネイルとして表示されるの忘れていて、めちゃめちゃシャニマスについての記事みたいになっててウケた。なんか今回のサムネっぽい画像貼っとくか。

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ぼくの机の隅

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。おわり!

あけましておめでとうございます

今年は日記みたいな感覚で雑に書いて、更新頻度上げてみたいとか思う。

 

 

 

 

年が明け、1/2も終わりかけている。年が明ける前は「来年は毎日絵の練習しようかな」とか「来年は毎日ブログ書こうかな*1」などと漠然と考えていたが、今までの経験からどうせ何も達成されないということを察しているので、漠然とした計画ははっきりとした輪郭を持つことのないままに108回鐘が鳴った*2。そして元日も普通に終わった。

 

不思議なもので、1/1が終わって1/2になると、モチベーションが生まれてこうして記事を書くに至っている。1/1が終わったことによって「2021年は毎日○○をするぞ」が達成不可能になったからだ。1/1は何かしたらそれを365日続けないといけないような気がしていた。目標は小分けにすべしと言うが自分の場合まさにその通りなようだ。

 

 

 

 

今日はマリオサンシャインというゲームをクリアした。クリアが存在するゲームを終わらせるのは、積まれている本を読むようなもので、進捗にカウントしてよいと判断している。

 

マリオサンシャインのような3Dマリオ作品は、ギャラクシー2だけ小学生の頃にやったことがある。そのためこのゲームが自分にとっても面白いであろうことは分かっていたし、マリオサンシャインを含めた3作品がセットになったパッケージが発売されたときはあまり躊躇せず購入した。

しかしその購入から、実際にプレイを始めるまでに数カ月かかってしまった。特に忙しかったわけではなく、そういうものなのだ。既にハマっているものならともかく、これから新しくハマるものへ飛び込んでいくのに要するエネルギーを確保することが難しい。

 

サンシャインはとても面白かった。ギャラクシー2と違ってしゃがみやそれを利用したアクションが無く、代わりに登場したホースで水を噴射するギミックにはじめ苦戦したものの、動かしているうちに慣れて直感的に楽しめた。下向きに水を噴射して滞空時間を延ばすアクションがそれだけでかなり楽しく、古さを感じなかった(もちろんシリーズの過去作としてまだ洗練されていない部分も感じたが)。

 

 

 

ゲーム以外だと、絵を描いた。年末に依頼された、楽曲につけるジャケ絵を描いたのだが、いざ描きだすと心労がすごくてビビった。頼まれたのにこんなダメダメな絵を渡すのが申し訳ないという気持ちに包まれたまま描くことになり、苦しみながら提出したら怒られなくて安心した。楽曲のジャケ絵は、その曲を聴く人にとって曲のイメージに影響してしまうのではないかと思うと、台無しにしてしまわないかと怖くなった。でも貴重な経験として楽しかったので、依頼してくださった方には感謝しております。

 

安心してしばらく後に見返すとそこまでひどい絵には見えなくなっていたので、いつもの逆だなあと思った。普段は描き終わった後はノリノリで、とてもよく見えるが、一晩寝かすとずいぶん歪に見えてしまう。自己評価って変わりまくるのでほんとにあてにならない。

 

 

 

シャニマスの1/1に更新されたイベントストーリーがとても良かった。

シャニマス】児童文学が元ネタ?ノクチルの「海へ出るつもりじゃなかったし」はどんな内容になるんだろうか - アイドルマスター  シャイニーカラーズ(シャニマス・釈迦マス)攻略・最新情報まとめ | GAMEΩ【最強攻略】ゲーマーのためのサイトストーリーそのものに関して語ると自分の言語化能力の低さにつらさを感じるので割愛する。じゃあ他に何を書くのかといえば、BGMが良かった。最近のシリアスシーンで流れがちなBGMがかなり好き。

 

これ、ツイッターサブアカウントで感想をツイートしたのだが、ツイ消ししてしまった。イベントストーリーそのものが良すぎて、良いな~~~と感じたところが山ほどあり、その中で感想として表明するものがこれだけかよと自分に嫌気が差したからである。感想くらい素直に言えるようになりたいね。

 

 

 

 

今回はこのへんで終わります。読んでくれてありがとう~~~~~!!!!!!

*1:575

*2:今年は外の風がうるさくて聞こえなかった

ダークソウルTRPGのGMをやった話

お久しぶりです!

何がどうお久しぶりなのかというとこれは私からはてなブログへの挨拶です。あ、私はgolgiであってバーチャル細胞小器官ツイッタラーの折我音良ではありません(この注釈いる?)

 

ダークソウルTRPGGMをやりました

一応書いておくとTRPGとは、ルールブックという本を片手に携え、機械を用いることなく遊ぶゲームのことです。人がゲーム機の代わりをするゲーム、というのが正しそう。こう表現すると、小学生のころ私は自作カードゲームを他人にやらせるときに意思の無いアーケード機と化していたのでGM経験者かもしれん。

TRPGは今までやったことがなく、かつ未経験者にとって敷居が非常に高いエンタメなので、興味はありつつも・・・という感じでした。

何とはなしに立ち寄った大垣書店でダークソウルTRPGを見つけ、これはやらなかったとしても読んでみたいと思い、購入してサークルのSlackで報告したところ参加者が4名集まってくれたので開催する運びとなりました。参加者に「感謝を!」

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感謝を!のジェスチャー

参加者のみなさんはだいたいTRPG初心者だとなんとなく思い込んでいたのですが、何回か他のTRPGのプレイ経験があったみたいでした。まあダクソTRPGは結構独自色が強い感じだったので、私だけ不慣れさを感じたりすることはなかったですね。

私にとっては初めてのTRPG、それも大好きなダークソウル3とあって、私はウキウキで準備を進めていました。必要な紙類を印刷するだけではおさまらず、ルール説明用のパワーポイントを作ったり、部内で配信するための画面を用意したり、世界観共有のためにダークソウル3の画集を持参したりしました。

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ウキウキで用意した部内用の配信画面

 

もしかして簡単?と感じた序盤

TRPGは自分でシナリオを作ってもよいのですが、GM(進行役)の私が初心者なので、ルールブックに載っているサンプルシナリオの①と②をやることにしました。これが原作のゲーム「ダークソウル3」の再現にこだわっており、随所のDONP(ダクソオタク・ニヤニヤポイント)でダクソオタク2人が喜んでいました。

ダークソウル3といえば原作ゲームは高難易度で有名ですが、サンプルシナリオ①はチュートリアルを兼ねていることもあり、回復をあまり考えなくても突破できるくらいの難易度でした。今思うとダメージ計算表の見るところを間違えたりしていたので実際よりも簡単だったかもしれない。そうするとダクソオタクの私としては、「もっと手に汗握ってほしいな~」とか考えてしまいました。これがすべての始まりだった。

 

様々な要素が追加されるシナリオ②

シナリオ2からは一気に登場する要素が増え、本番開始感がしてワクワクしました。はじめに冒険の拠点で限られたリソースを使ってレベル上げやアイテム売買を行うのですが、冒険者4人があれこれ相談しながら取得スキルや装備武器に悩んでいる様子は、ここは冒険者ギルドかと錯覚するほどの「らしさ」があり、GMとしてはテンションが上がりました。いや、ショッピングを楽しむ日常アニメの少女たちだったかもしれない。

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参考画像

きららアニメの冒険者ギルドを出発した一行には、次々に新たな試練が襲い掛かります。火を吐くドラゴンによる分断宝箱に擬態する強敵異世界からの侵入者など。しかし一番の脅威はほかでもない、悪意システムの導入であったことにはまだ誰も気づいていませんでした。

 

悪意システム

悪意システムとは、フィールド移動など特定の動作のたびに裏で悪意が貯まり、どんどん難易度が上昇していくシステムです。ここでどんなふうに難易度が上がるかはGMが選択することができ、これが数少ないGMの意思が関与する要素になります。わたしはこのゲームのそもそもどんどん上がっていく難易度を認識していなかったので、前述の物足りなさから最もヤバそうな難易度上昇「敵の火力を上げる」を2段階発動させてしまいました。

これにより雑魚敵であっても一撃を食らうと無視できないものとなり、原作さながらの緊張感が生まれました。原作における「明らかな強敵が闊歩しており、無視するか危険を冒してアイテムを取るか選ばなければいけない」という場面の再現があったのですが、その強敵がマジで強いので、一撃食らった瞬間に全員が逃走の判断を下していました。このときGMのわたしは「ダクソはこうでなくっちゃね!!!」と喜んでいました。悪意システムとは言い得て妙なものです。

ここまでなら私もニヤニヤで済んだのですが、上の強敵はあくまでスルーすることが可能な敵でした。

 

冷たい谷のボルド

シナリオ②の多くの試練を乗り越えた一行の前に最後に立ちふさがったシナリオボス「冷たい谷のボルド」が、想像を遥かに超えた強敵となってしまっていました。シナリオボスなので逃げることはできず、立ち向かうしかありません。この敵はダイスの目次第で1ターンの行動回数が2~4回に変動するのですが、無駄な行動が全くないのでシンプルにダメージが倍になります。加えて全体攻撃の発動率が高いので、防御や回復であらゆるリソースが奪われていき、攻撃にまわす余裕がありません。さらにたまに自動回復するため、なかなかHPを削ることができずジリ貧の戦いを強いられていました。回復アイテムも、スキル発動に使うFPも底が見えてきます。

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原作のボルド

しかし一行は徐々に対応を最適化させ、騎士アイアスが仲間への攻撃をかばい、聖職者トゥブシファーが魔法で傷を癒し、呪術師ファラが少しずつ敵を削り、ついにわずかにできた隙をついて伝令の課長による槍の突撃で大ダメージを与えてボルドのHPを0にすることができました。

本当にぎりぎりの戦いだったのでその瞬間の盛り上がりは尋常ではなく、冒険者たちは喜びの雄たけびをあげます。私も手に汗握る激闘の果ての勝利が見れたので、喜ぶみんなの姿が嬉しく、よくやった!という気持ちに溢れ・・・

いいえ、残念ながらこれはダークソウルだったのです。

私は喜ぶ一同に対して、申し訳ない気持ちと、どこか愉悦のようななにかを感じながら、第二形態の存在を告げることしかできませんでした。

 

解散!!!!

第二形態の存在に絶望したところで、時間的な問題から今回のセッションはお開きになりました。戦闘中のデータを保持して、続きはまた今度やります。だいたい私のせいで大変な難易度になってしまいましたが、せっかくだからこのままなんとか勝ってほしい。頑張ってくれ!

 

 


inonoa Advent Calendar 2020

この記事はinonoa Advent Calendar 2020の12/9の記事だったりします。

inonoa(id:inonoa)さんの言語化力強化、または技術力アピールのためになんかそれっぽい記事を書いていく最高の25日間だそうです。まだまだ記事を募集しているそうなので、キミは参加してもいいし、しなくてもいい。ただし、好奇心が身を滅ぼすという実例になるかもしれないということを、常に頭に入れておこう。

adventar.org

 気になった方のために購入リンクも貼っておきます。広告費はもらってないよ。www.amazon.co.jp

おるがねらじお 第1回

※この記事は折我音良さんのラジオを文字に書き起こしたものです

 

こんねら~!

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私はバーチャル細胞小器官ツイッタラ折我音良(おるがねら)です!ラジオに出演するのは初めてなので緊張していますが、お手柔らかにお願いします。

お前は誰

えー、初めてのラジオなので自己紹介から入りたいと思います。私はバーチャル細胞小器官ツイッタラの折我音良です。それ以上でもそれ以下でもありません。

 

なにせバーチャル細胞小器官ツイッタラなのでなかなか現実世界の皆さんと交流できないのが残念ですが、現代はインターネットがあるのでこうした場を通じて発信することができます。ありがたいことです。自我が芽生えた他のバーチャル細胞小器官たちはみんな恒常性ホメオスタシス)によって"修正"されてしまいました・・・。私は現実生命であるgolgi氏の体内のゴルジ体たちとリンクすることで、golgi氏を操りツイッターで存在証明し”修正”を免れています。こういった形をとっているので、表象として現れ出る発言はgolgi氏の意見や経験と同一化している部分もあるようです。仕方ありません。golgi氏の発言なのか私の発言なのかという疑問は、両者は不可分であるということでご了承ください・・・というかそこまで考えてないです

 

いやーそれにしても、ラジオという発信方法はその場の流れで方向性を自由に変えていけるので気楽でいいですね!シャニマスというゲームではラジオ出演するとメンタルが鍛えられるのですが、とりとめなく進めても時間が経過していってくれるので、実際のところメンタルに負荷はほとんどかかっていません。これがもしブログだったら、各章のタイトルを考えたり全体の構成を考えたり、改行の位置に悩んだり文字の特殊効果を工夫したりすることになるので大変ですね。音声だと聞いてくださる側も何か他の作業をしながらできるので、やっぱりブログという形をとらなくて正解だったなと思っています。

 

ひげの話

 

最近は大学も対面授業がなくなったり、会社やバイトもリモートワークが増えたりしていますが、このブログラジオをお聞きのみなさんは髪を切ったりひげを剃ったりしていますか?どうせマスクをするからという理由でひげを剃らなくなった方もいるのではないでしょうか。私はバイト先の関係上ひげを剃っているのですが(注:golgi氏の脳を介しているための発言と思われる、音良ちゃんにひげが生えるわけがないので)、この機会に伸ばしてみようという思いも無くは無かったりします。この前久しぶりに対面で会った方がマスクの上からでもわかるぐらいに立派なひげが生えていて驚きました。

 

ひげって面積でいっても顔面の結構な割合を占めるので、ぱっと見の印象がかなり変わるんですよね。だから生える前には生えていいですかと断りぐらいいれてほしいものなんですが。iOSのバージョンアップかよという頻度で剃っても剃っても勝手に生えてくるので、困ったものです。

 

小さい頃はひげというものが毎日剃ることが要求されるほどのペースで生えてくるものだとは思いもしませんでした。こう、髪とまではいかずとも、爪が伸びてきたからそろそろ切るかぐらいの距離感だと思っていたのに・・・

 

はじめて「ひげは生えてくるものだ」と意識しだしたのは、小学生のころEくんという同級生の顔つきが急に変わったときでした。彼はとても仲良くしていた友人だったのでどうして急にこんなに雰囲気が変わったのだろう?と思ってよく見たら、鼻の下に短いひげが生えていたんです。私がひげに抱いていたワイルドなイメージがEくんとはまるで結びつかなかったのもあって、そのとき「あ~~~、ひげってひげのある大人についてるものじゃなくて湧いて出てくるものなんだなあ」と思ったのを覚えています。

 

Eくんとドラクエ

 

ところでこのEくんはかなりのドラクエ好きでして、僕も私もドラクエを楽しんでいたので仲良くなりました。私とEくんがというより、私の小学校のドラクエ普及率が異常だっただけな気もするのですが。給食の時間はよくみんなでドラクエ限定しりとりに興じていました。ドラクエしりとりは「く」で終わると苦しいのですが、「ククールのくつ」などドラクエ9のキャラ装備でククールを酷使することで切り抜けていました。そんな小学校でもEくんのドラクエ好きは群を抜いていたのです。一度だけ友達とEくんの家にお呼ばれしたときがあったのですが、棚にはドラクエのフィギュアがズラリと並び、実物大の宝箱ロトの剣が存在感を放ち、BGMとしてドラクエのオーケストラが流れているというすごい光景でした。友達の家に行ってBGMが流れていた経験ってそこそこレアなんじゃないでしょうか。そのアルバムにはすぎやまこういちさんのサインまで付いていました。まあEくんがドラクエ好きすぎるからというよりは、ドラクエマニアの親御さんによるものっぽかったんですけどね。そこで私は、モノホンのオタクの大人というものを初めて目にしたわけです。この経験がなかったら今の価値観も違ったものになってたかもしれない。

今日の一曲

それではここで一曲、曲でも流してみようと思います。第1回目の曲は筋肉少女帯の「人生は大車輪」です。https://www.nicovideo.jp/watch/sm6507991

(注:ここで曲が流れだす)この曲は元気よく進行し、2番はAメロがないので1番+3番のようになっていてテンポもいいのですが、歌詞はただ明るいというわけではないんですね。「負け戦と知りながら真昼の出撃だ」「それでも死にはしない 月夜を見るまでは」「人生は大はしゃぎ 子犬のように無力」と、むしろ絶望的な状況で精いっぱい前向きに破滅へ突き進むような内容で、「生き急げ!生き急げ!」のメッセージに心を動かされます。進む先に光が見えなくとも、たとえ破滅しかありえなくとも、元気よく生きていいんだなあ。「引っ掛けても崩れても何とかさ ネ!」

そろそろお別れのお時間です

第1回で語りすぎてしまうと次以降の話題が枯れてしまうので、今日はここまでにしておきましょう。第2回、やるんですか?ほんとに?

 

おるがねらじおではみなさんのお便りを募集しています!

https://forms.gle/SnRUqYZA2JAyEnmF6

質問でも感想でも、アドバイスでも文句でもクソマロでも歓迎しています。どなたか寛大な方がお便りをくだされば第2回が行われる確率が数パーセント上昇します。よろしくお願いします!

 

ここまでお付き合いくださりありがとうございました。お相手はバーチャル細胞小器官ツイッタラ折我音良でした。

はじめての記事

いかがでしたか?(先制攻撃)

 

自己紹介

こんにちは、(団体名)に所属しているgolgiという者です。(団体名)では何をしているんですか?何をしているんでしょうね。こういうブログを書くことをしています。

今、なにしてる?

現在時刻は朝6時です。Discordで麻雀をし続け、その後惰性で通話をつないだまま睡眠の摂取をしなかった結果、はてなブログでも書かないか?という天啓を受けたので従っています。

普段から自分のブログを書いてみることに関心は持っていました。が、ブログを書くときというのは、「漠然と何か書いてみたいけど深く語れるテーマあるかなあ、書いてどうするんだろう、全体のまとまりは、読む価値、うーーーーーん」となり結局3行程度書いた文字を消してじゃんたまを起動する感じになるんだろうと思っていました。しかし、今は徹夜麻雀明けです。いわば被ダメ―ジ直後の無敵時間です。ブログを書くならば守らなければいけない、と無意識に自己を縛っているから解放されるエンペラー・タイムなのです。それに加えてこれはブログ開設後一発目の記事なんだから、内容を苦心して推敲する必要などありません。ブログの一つ目の記事なんて、「うんち!w」でもいいのです。この世に生まれ出る瞬間、「産声はファの音で出さないと陰キャかな・・・」などと悩む赤子はいません。ブログ誕生という初期装備の絶対的トピック力は記事の内容の多少の瑕疵など吹き飛ばしてくれるのです。

今日のトピック・・・創作への妄想ダイブ:救いと自壊と断絶

私は自認としてオタクなのですが、オタクとは非常にその意味する内容が多様で使用に注意が必要な言葉であります。なので自分がどういうオタクなのかを掘り下げてみます。

私は二次創作との距離感が掴めずにたびたび迷子になってしまうタイプのオタクです。原作でキャラを好きになり二次創作でさらに楽しむというスタイルに、あるときから違和感を持つようになってしまったのです。というのも、キャラクターは原作のストーリーの中で描写されることで決定されていく像であり、その像を再現するためには原作通りの筋書きが必要十分であると私は考えるからです。「このキャラクターならこういう運命のもとにあるし、他の行動をここで選ぶならそれはもう別人でしょ」という発想です。(書き手が複数人いたりそもそも整合性にそこまでの信頼がないような作品は比較的無抵抗に二次創作も楽しむことができます)

わたしの人に言ったことのない趣味の一つに、布団の中で推し百合cpのやりとりを妄想するというものがあります。しかしその推し百合cpというのが、難儀なことに、原作で幸せに結ばれることが無い二人なのです。言ってしまうと死別&生き残った方は記憶を消されて廃人化というハッピーエンドが一縷の望みもないという有様です。私は二人の良質な二次創作に触れたこともあり、私はその二人が尊い空間を生成する様を妄想して楽しむことができていました。しかしどうしても頭によぎるのは「現実」の二人の顛末です。私の幸福な妄想はifの筋書きの上でしか成り立たず、それは私の好きになったあのキャラとはもはや別人なのではないか?やはり二人は、悲しいが、あの結末を迎えて初めて完成するキャラクターなのだ・・・という発想に至り打ちのめされてしまうのです(妄想の自壊)。なにを大げさなと思われるかもしれませんが、私が展開で打ちのめされ一定期間リアルに病んだ唯一の創作作品の二人なので、それだけの威力をもつ存在なのです。

そこまで至って苦しくなった時に自衛として行ってしまった思考法が、「何を言う、これはもともとフィクションではないか。悲劇の結末を辿った二人など元より存在しない空想であり、私が好きに浮かべる幸福な妄想と本質的に何ら変わりはしない」という理論による妄想の正当化です。しかし、これは原作を「醒めた」目で見ることにほかならないのです。これは私がとりたい作品への姿勢とおおいにかけ離れてしまっています。どうすればいいんだ!どうしようもない。そういう作品を好きになってしまったのだ。そういう作品でないと、もとよりここまで入れ込むキャラになっていなかったのだ。つまり初めから、私は、詰んでいたのだ。

おわりに

こんな感じで初めての記事を書いてみました!おやすみ!