はじめての記事

いかがでしたか?(先制攻撃)

 

自己紹介

こんにちは、(団体名)に所属しているgolgiという者です。(団体名)では何をしているんですか?何をしているんでしょうね。こういうブログを書くことをしています。

今、なにしてる?

現在時刻は朝6時です。Discordで麻雀をし続け、その後惰性で通話をつないだまま睡眠の摂取をしなかった結果、はてなブログでも書かないか?という天啓を受けたので従っています。

普段から自分のブログを書いてみることに関心は持っていました。が、ブログを書くときというのは、「漠然と何か書いてみたいけど深く語れるテーマあるかなあ、書いてどうするんだろう、全体のまとまりは、読む価値、うーーーーーん」となり結局3行程度書いた文字を消してじゃんたまを起動する感じになるんだろうと思っていました。しかし、今は徹夜麻雀明けです。いわば被ダメ―ジ直後の無敵時間です。ブログを書くならば守らなければいけない、と無意識に自己を縛っているから解放されるエンペラー・タイムなのです。それに加えてこれはブログ開設後一発目の記事なんだから、内容を苦心して推敲する必要などありません。ブログの一つ目の記事なんて、「うんち!w」でもいいのです。この世に生まれ出る瞬間、「産声はファの音で出さないと陰キャかな・・・」などと悩む赤子はいません。ブログ誕生という初期装備の絶対的トピック力は記事の内容の多少の瑕疵など吹き飛ばしてくれるのです。

今日のトピック・・・創作への妄想ダイブ:救いと自壊と断絶

私は自認としてオタクなのですが、オタクとは非常にその意味する内容が多様で使用に注意が必要な言葉であります。なので自分がどういうオタクなのかを掘り下げてみます。

私は二次創作との距離感が掴めずにたびたび迷子になってしまうタイプのオタクです。原作でキャラを好きになり二次創作でさらに楽しむというスタイルに、あるときから違和感を持つようになってしまったのです。というのも、キャラクターは原作のストーリーの中で描写されることで決定されていく像であり、その像を再現するためには原作通りの筋書きが必要十分であると私は考えるからです。「このキャラクターならこういう運命のもとにあるし、他の行動をここで選ぶならそれはもう別人でしょ」という発想です。(書き手が複数人いたりそもそも整合性にそこまでの信頼がないような作品は比較的無抵抗に二次創作も楽しむことができます)

わたしの人に言ったことのない趣味の一つに、布団の中で推し百合cpのやりとりを妄想するというものがあります。しかしその推し百合cpというのが、難儀なことに、原作で幸せに結ばれることが無い二人なのです。言ってしまうと死別&生き残った方は記憶を消されて廃人化というハッピーエンドが一縷の望みもないという有様です。私は二人の良質な二次創作に触れたこともあり、私はその二人が尊い空間を生成する様を妄想して楽しむことができていました。しかしどうしても頭によぎるのは「現実」の二人の顛末です。私の幸福な妄想はifの筋書きの上でしか成り立たず、それは私の好きになったあのキャラとはもはや別人なのではないか?やはり二人は、悲しいが、あの結末を迎えて初めて完成するキャラクターなのだ・・・という発想に至り打ちのめされてしまうのです(妄想の自壊)。なにを大げさなと思われるかもしれませんが、私が展開で打ちのめされ一定期間リアルに病んだ唯一の創作作品の二人なので、それだけの威力をもつ存在なのです。

そこまで至って苦しくなった時に自衛として行ってしまった思考法が、「何を言う、これはもともとフィクションではないか。悲劇の結末を辿った二人など元より存在しない空想であり、私が好きに浮かべる幸福な妄想と本質的に何ら変わりはしない」という理論による妄想の正当化です。しかし、これは原作を「醒めた」目で見ることにほかならないのです。これは私がとりたい作品への姿勢とおおいにかけ離れてしまっています。どうすればいいんだ!どうしようもない。そういう作品を好きになってしまったのだ。そういう作品でないと、もとよりここまで入れ込むキャラになっていなかったのだ。つまり初めから、私は、詰んでいたのだ。

おわりに

こんな感じで初めての記事を書いてみました!おやすみ!